教会の歴史

History
とある一軒の家庭から
はじまった福音の軌跡

1966年

小さな福音の種が蒔かれた瞬間

1966年4月、高槻市日吉台にて「キリスト教を知る会」という求道者会が発足された。毎月一度、青木夫妻宅で共に聖書を読み、讃美歌を歌い、隠退されていた平田甫牧師の話を聞いて「神の御言葉」に接する会であった。なお初回が4月22日に開催されたことから、この日を高槻日吉台教会の伝道開始日として、毎年祈りに憶えている。1967年、平田牧師から隠退されていたばかりの原忠雄牧師が紹介され、同年のクリスマス礼拝より、主日礼拝(毎週日曜日の礼拝)が行われるようになった。

青木邸での集合写真

1968年

高槻の地にさしこむ恵みの光

1968年、隠退されていた原牧師の復帰に関する手続きの間、千里丘教会の大井常牧師を兼務主任教師として日本基督教会に「高槻日吉台伝道所」の設立を申請した。同年11月21日に承認され、当教会では毎年、これを記念した創立記念感謝の祈りを捧げている。また、現在の教会学校(CS)にあたる「日吉台伝道所教会学校」も同年発足した。なお、当時は会堂がなかったため、礼拝は近くの公園で行われていた。

当時の高槻日吉台伝道所周辺の様子
公園で行われた礼拝の様子

1970年

わたしはこの岩の上に わたしの教会を建てる マタイによる福音書 十六章十八節
教会での集合写真

1970年6月、待望していた礼拝堂の施工が始まった。建築デザインはポストモダン建築家として知られる毛綱毅曠によって建てられた。施工は同年12月に完成、引き渡しを受け、翌年1月24日に新会堂献堂式が行われた。1974年、横野朝彦先生が教師として招聘される。日本基督教団の補教師の資格を得られ、当教会の主任担任教師となられるまでの間は、橋本滋男牧師を代務者として招聘した。

新しい会堂のスケッチ

ひろがる伝道の場

教勢拡大により、教会にはさらなる交流の場が求められた。1975年、牧師館及び教育館(現在の集会室)が完成し、献堂式が行われた。1987年、横野牧師が岡山教会へ招聘されることになり、3月末で高槻日吉台教会を辞任。6月、沼田教会より菅原力牧師を招聘した。また、1990年5月に会堂・牧師館・教育館の増改築に着工し、9月に工事が完了した。2003年、菅原力牧師が東京・弓町本郷教会へ招聘・辞任されることに伴い、伊予小松教会の小笠原純牧師の招聘を決定した。

2020年

オンライン配信の様子
with COVID-19

新たな伝道の道へ

2019年、小笠原牧師が京都・日本基督教団平安教会へ招聘された。同年5月、米国キリスト合同教会シカモア組合教会の吉岡恵生牧師を招聘することを決定した。吉岡牧師が着任されるまでの間は、横野朝彦牧師を代務者として招聘した。2020年4月、吉岡恵生牧師が高槻日吉台教会に着任した。コロナ禍の対応として礼拝のライブ配信を開始。2020年10月、月一回第4日曜日に夕礼拝式を開始した。